「新人に厳しい」の半分はやさしさで出来ています
「最近の子は直ぐ音を上げるんだよね〜」とか言って諭されることがあります。
本当にそうなのかな〜と思います。
今の子だって努力するし、負けん気が強い子もいるでしょうに。
一括りに「今の子は〜」とするのはどうなのかなと。
自分はアラフォー部類に近づいているので、「近頃の若い子は〜」と嘆く方の世代になりつつあります。
でも、「頑張る奴は頑張るんだよ、一緒にしてあげるなよ」と常に思ってます。
我々世代の考え方の方が悪いんじゃないだろうかと思うんですよね。
「ゆとり」がどうした
ゆとりって本来はいい言葉なのに、今ではすっかりスラングです。
本人たちは望んでもいないのに、勝手に決められて押し付けられているので迷惑千万ですよね。
「好き好んでゆとってんじゃねぇよ!」と言いたいでしょう。
でも新人の子たちと話をしてみると、しっかりした考え方を持ってる子はたくさんいますし、自分よりよっぽど頭のいい子も当然いるわけで。
「今の子は直ぐ辞めるから・・・」
昔も直ぐやめる奴は辞めてたぞ?と思うわけですよ。
「ゆとりがある」って素晴らしいことだと思います。
根性論
僕は根性論は好きです。
少し矛盾しているかもしれませんが、「プロ根性」って素晴らしい。
「今の子は根性が無いから・・・」と会話に挙がることも増えてきましたが、本当にそうなのかなと。
昔のように手当たり次第にがむしゃらに働くということが「根性」とするのであれば、それは間違いだと思っています。
残業をしまくることが「根性」とか、とりあえず成果は残せませんでしたが何かしました!とか。
こういう点を評価するのはそろそろやめた方が良いです。
「やさしさ」の定義
上役から「根性が無いから直ぐ辞めるんだよね。だから優しく教えてよ」とか、僕としては「はぁ?」という感じです。
「根性が無いから直ぐ辞めるんだよね。だから社会の厳しさと愉しさを教えてあげてよ」ならわかります。
「優しく教えてあげてよ」は本当に意味がわからない。
こういう判断になる年配層の方が色々問題なんじゃないかなーと思ってしまうわけです。
例えば、システム会社とかは凄い癖が強いので、他業種から見ると本当に異様かもしれないんですけど、自分の新人の頃は、先輩に質問に言ってもモニターから目を離してもらえず、怖かった記憶が強いんですよね。
でも、そこから少しずつ学んでいって、自分に足りないものとか気づいた点を養う術を学んだりしました。
俗に言う「仕事は教えてもらうんじゃない!目で見て盗むんだ!!」とかいうアレです。
これは「優しく教える」では学べない事だと思います。
上層部としては、新人に辞めてもらうのも困るので「優しく教えて」という判断になるんだろうなとは理解しているつもりです。
でも、「優しく」というよりは「易しく」なんですよね。
詰まるところ、当たり障りなく・・・という。
優しさは厳しさがあるから成り立つんじゃないかな。
僕はそう思っています。
普段はモニターから目も向けない先輩が、さり気なくフォローを入れてくれる「優しさ」
烈火のごとく怒りまくる上司が、出張先では色々と気を使ってくれたりした「優しさ」
優しくされっぱなしだと、人は腐ります。現状に甘んじます。
ピリッとする瞬間は絶対にあった方がいい。
もちろん、怒鳴るだけとか人権を無視したブラックなやつはアウトですけどね。
成長を願う叱咤こそ「やさしさ」なんじゃないかな。
時代は変わる 自分も変わる
歳を重ねると「昔はよかった・・・」という言葉が口癖になってきます。
仕方がないです。やっぱり、自分の若い頃は「何でも出来る」感が強いですから、特別に思えます。
でも、時代は変わります。
自分も変わっていくんだ!という意気込みで望めば、実は今の若い世代も昔の自分とあまり変わらないと思えるんですよね。
この格言で締めたいと思います。
志を立てるのに、
老いも若きもない。
そして志あるところ、
老いも若きも道は必ず開けるのである。