modest violet

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開発者としてのあれこれや、日々の雑記など

your future hasn't written yet. no one's has.
by Emmett Lathrop "Doc" Brown

ブログにおける「字下げ」って要る?要らない?


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小学校の時から、「文章を書く時は最初の一文字を空けましょうね」と教わってきました。

これが「字下げ」なんだと。文書を書くときのマナーなんだと。


学生時代はもちろんそうしていましたし、学生時代の論文も当然字下げをしないと減点対象でしたので、自然と字下げを行いました。


でも、ブログって「字下げ」になんとなく抵抗があるんですよね。

実は、ブログを書く際に今でも毎回悩みます。

文書なんだから、字下げはいるんじゃね?

でも字下げすると、なんとなく見辛い気もするし・・・そうでも無い気もするし・・・。う〜ん。


と、悩んでいるわけです。

結局のところ、「字下げしない」で毎回落ち着いてしまいます。

そして、多分「字下げしない」が僕の中では結論に至っています。

ブログにおける改行


改行後に「新しい段落をはじめますよ〜」というのを表すのが字下げです。

字下げ(インデント、indentation)とは、文章を書く際に行頭の位置を周りの文章よりも下げることである。縦組みなら下に、通常の横組みなら右に、アラビア語など右から左に読む横書きでは左に寄せることになる。例えば次の行は一段字下げされている。

出典:Wikipedia
字下げ - Wikipedia


改行前と後で段落が変わることで、話の内容を切ることでも使われますよね。

でも、ブログにおける改行って、少し意味が違う気がするんです。

僕の中でのブログにおける改行とは、話と話の間に「溜め」を作る為だと思っています。

話の「間」というやつですね。

大体、1行分の改行は普通の文章の流れで、話の内容を変えたい(本来の改行)場合は、2行分を空けるようにしてはいます。

ただ、芸能人のブログなどでよく見受けられる数十行も改行を空けるのは、どうなのかな〜とは思っていますが。

書き手の意図に反する折り返し


ブログで改行せずに文章をつなげて書くと「自分の意図しない場所で折り返されるのが嫌」というのもあります。

書籍だとか論文は原稿用紙であったり、紙であったりと「1行何文字」という決まりがあります。

書き手はそれこそ自分の思惑で、「ここで次の行になるように文字数を調整しよう」とか考える事が出来ます。

ブログだと誰がどんなデバイスで閲覧するかなんてわかりません。

どんな画面サイズで見ているかなんて知るよしも無いわけで。

となると、書き手の意図しない場所で文字が折り返される事になります。

原稿用紙で文字を書いている時代には無かった事ですよね。

当然、変に改行を入れる事でスマートフォン等では逆に見にくいケースも出てくるのは重々承知しているのですが、とても悩ましい所です。

字下げのバランス


2行分で従来の改行と言っていたので、じゃあ2行分空けた時に字下げすればいいんじゃない?という事になりそうです。

ただ、それはそれでなんとなく気持ち悪いんですよね。

わかりにくいので、宮沢賢治風の又三郎の一節で例にしてみます。

字下げ有り

 谷川の岸に小さな学校がありました。



 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。


運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。



 さわやかな九月一日の朝でした。


青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。


黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。


というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。


そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

字下げ無し


谷川の岸に小さな学校がありました。



教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。


運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。



さわやかな九月一日の朝でした。


青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。


黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。


というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。


そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

本来の改行

 谷川の岸に小さな学校がありました。
 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

好みの問題かもしれない・・・、

でも、「字下げ有り」の場合は「改行されているのに、字下げがない箇所もある違和感」というのを感じるんです。

それならばいっその事無いほうが良い。

「本来の改行」が見やすい!と思われる方も多いと思います。

僕自身も紙で見る場合は、「本来の改行」の書き方が好きです。

でも、ブログで見る場合には文字の行間が詰まりすぎていて「読む気が起きない」感じになるんです。

だから僕は字下げをしない


字下げをしないからと言って、昔からある文化をないがしろにしているという訳ではありません。

ただ、「見る人によって1行の文字数が変わる」という昔の人にしてみれば「不可思議」な現象が起こっている現代においては、従来とは異なる考え方を持っていてもいいと思います。

最終的には、個人の好みの問題なので、僕は字下げはしないで行こうと決めた次第です。