modest violet

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開発者としてのあれこれや、日々の雑記など

your future hasn't written yet. no one's has.
by Emmett Lathrop "Doc" Brown

共感はすべてに優先するぜ!~ウォーターフォールvsアジャイル記事を受けて~

ジョジョの名言で「納得はすべてに優先する」というのがありますが、『共感はすべてに優先する』と提言します。

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スティール・ボール・ラン 第8巻 P.171

先週、ウォーターフォールアジャイルに関するエントリーが相次ぎ、システム屋界隈では話題騒然となりました。旧態依然のウォーターフォールは不要だ!という内容に反応し、「言い過ぎだ!」というコメントが多数発生、そこから多くの記事が生まれました。きっかけとなったマイクロソフト エバンジェリストの牛尾さん記事は炎上(本人談)となり、その記事から別の視点で書かれた同じくマイクロソフト赤間さんの記事は「神記事」扱いとなっています。結論的には「ウォーターフォールをいつまで正当化して使うつもり?他にも視野を広げましょう」という内容です
。(拡大解釈かもしれませんが・・・。) ただ、格段に両記事で違うのは結論に至るまでの「言い回し」です。

牛尾さん記事
simplearchitect.hatenablog.com


赤間さん記事
blogs.msdn.microsoft.com


先に述べますが、両者の記事に優劣はなく、両記事とも非常に素晴らしい内容です。お互いに素晴らしい内容なのに、片方は「炎上」と言われ、もう片方は「神記事」となりました。何故か?両者の決定的な違いは『共感』の違いが大きかったのではないと思います。

両記事の言い回しから受ける共感

牛尾さん記事のスタンスは「おいおい、海外ではこんなに凄いことになってるんだぜ!日本はもっと出来るハズだろ!?頑張ろーぜ?」という鼓舞する書き方です。凄い事例を見せることで、記事を読む人自らが奮い立ってアクションを起こすように仕向ける内容です。日々、新しい事が好きな人には素晴らしく『共感』出来る書き方だと僕は思います。逆に、慎重な人ほど「共感できない」と捉えた人が多いように思います。「言いたいことは分かる。ふーん。でも、ここは日本だよ?どれだけ海外の事例を挙げられても日本では意味が無いよ。自分でアクションを起こす?そんな事が出来るならとっくにやっているさ」となるのではないでしょうか。身近な例で言うと、『学生時代に自分では勉強しないといけないと思っているけど、親に「勉強しろ!」と言われると「するつもりだったのに・・・。やる気なくした!」』となる感情に近いのかもしれません。なんとなくは分かっている。でもそれを直球で言われると反骨精神が出てきてしまう訳です。

赤間さんの記事はというと、「現場は大変だよね、分かる。下っ端は自分でアクションを起こすのはなかなか難しいよね。でも少しの内容なら出来る?そこから始めましょう」というノリです。この「現場は大変」という目線が大事なんだなと。「あなたは俺の気持ちが分かってくれるんだね!」とたまにドラマでも見かけますが、ああいうワンシーンですね。「今の状況では駄目だと思っている。でも自分の力だけじゃぁ、どうしようも無い・・・。」と思っている所に「分かる。大変だよね・・・」と声をかけられたら、「ああ・・・いい人だ」と思いますもんね。先の例で挙げた学生時代の勉強でも「勉強大変だね。」と共感してもらえるだけで、「ああ、やっぱりちゃんと勉強しないと・・・」と思えるようになります。少し相手の立場で『共感』する事で、結果の印象は大きく変わってきます。

もちろん、牛尾さん記事の方に『共感』する人も要る訳ですが、旧態依然のウォーターフォールを採用している側の「目線」に立った赤間さんの記事は『共感』を得やすく、『共感』を得た記事は「肯定的に受け入れることが出来る」訳です。

クレーム対応から学ぶ共感

クレーム対応マニュアルでは「相手に共感する」という事が挙げられます。クレームを挙げるという事は既に怒っているわけです。そこに返ってくる言葉が「言い訳がましい」内容であればどうなるでしょうか。「そんな事が聞きたいんじゃ無い!」となりかねません。また、一度「否定」されると、以降のやり取りも全て「否定」から入られる事になります。何故か?クレームを入れる側は「こいつは信用出来ない!敵だ!!」と身構えるからです。逆に、クレームを挙げた後に「申し訳ございません。」と相手を気遣う言葉を組み合わせながらの対処では大きく異なってきます。相手の目線にたって、共感し解決に導こうとする姿勢です。
クレームで例えていますが、これは社会生活でも十分に通用する手です。上司には上司の、部下には部下の立場があります。普段は自分の立場でしか物事を考えませんが、相手の立場にたって話を進めると非常にスムーズに事が進む場合が多いです。根回しも一種の『共感』だと言えます。

でも、よくよく考えると牛尾さんの記事はタイトルで「ごめん」って謝っているよな・・・。少しニュアンスが違うから、これは『共感』出来ない謝り方なのかな。

ブログ記事を『共感出来ない』人向けに書くのか

ブログを書くという事は、「誰かに共感して欲しい」という側面があると思います。「自分はこう考えてるけど、どうよ?」という事です。そこに『共感』してもらえれば嬉しいですが、『共感出来ない』と感じる人は共感出来る人の何倍もいる訳です。その『共感出来ない人』が自分たちも『共感』できるようにして欲しい!と声を上げたのが、牛尾さん記事の炎上の真意なんだと思う。
でも、最初っから「共感出来ない人」を想定して、その人たち向けの内容も書くのって無理ですよね。だって真逆の内容なんだから。その内容を書く時点で自分の書きたいものは変わっている事にもなります。ご本人もかなりこの事に関して言及されておられます。

simplearchitect.hatenablog.com


「本当に思った事」を言うエネルギー量の違い

 今回ブログを書いて気づいたことだが、何か「意見を言う」ことの負荷が、インターナショナル環境と、日本では全然違うことに気が付いた。インターナショナル環境だと、「自分の人生に責任を持つ」マインドセットだから、私が同じような意見を書いたところで、たとえ多くの人と考えが違っていても、「あー、君はそう考えるのね」というノリだし、そうでない考えの人は自分でブログを書いて、「私はこう考える」ポストをする。もちろん、そのアイデアに対してさらに自分がブログを書くか否かは私次第ということになるので、書いてもいいし、書かなくてもいい。だから相当気軽にアイデアをシェアできる。

 ところが、日本で同じことをやると、そうもいかないようだ。今回のことでも、様々な方面から、「あなたはこうすべきだった」「フォローアップブログを書くべきだ」「きみのせいで、ほかの人が困る」「人の気持ちに気を配るべきだ」・・・。これは、人の考え方だし、文化に対して何かを言うつもりはない。ただし、メソッド屋として「新技術やアイデアの導入スピード」ということのみを考えると、これは相当問題だ。私の意見が正しいと私が思い込んでいるいう意味では取らないでほしいが、例えば、天動説が主流の頃に、自分はそう思うということで、地動説を唱えると、人は大きなショックを受けるかもしれない。天動説で商売をしている人は大きな打撃を受けて困るだろう。あなたの顧客には天動説の人もいるかもしれない。でも、それに遠慮をして、本当に自分が思う意見を言わないほうがいいだろうか?もちろん、あっているかどうかはわからないが、それを言えないとなると、相当いろんなものが歪んでしまう気がする。

 日本では、そういったことに、いろいろ気を使って、何かをしなければならなくて、尚且つ、何かやった後も人々の要請があったり、「こうすべき」という意見があれば、それを実行しないといけないとすると、相当な負担だ。つまり、「めんどうくさい」のだ。

僕個人が考えるのは、「あなたはこうすべきだった」「フォローアップブログを書くべきだ」「きみのせいで、ほかの人が困る」「人の気持ちに気を配るべきだ」と言った声が挙がったのかと言うと、声を挙げた人も本質は分かっていて、『共感』したいだけなんだと思う。確かに後ろ向きの否定もあるでしょうが、「自分は成長したいんだ」という前向きな否定も含まれていると思えます。一括りで炎上と扱ってしまうのは勿体ない。

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でないと、俺は前へ進めねぇ!
スティール・ボール・ラン 第8巻 P.171

そこに赤間さんの『共感』できる記事がポストされたので、この様な結果の違いになったと思われます。

最後に

今回のケースは、日本の「終身雇用」の問題にも近いなあ~と感じています。僕自身は「良い大学に入って、良い会社に就職すれば一生幸せ」という教えを受けていた世代です。そんな教育を受けていた世代が、いざ就職活動となった時期に『終身雇用は終わった。おまえ達に入れる会社なぞ無い!』とか訳の分からない事を言われた訳です。
今回の記事も、『ウォーターフォールこそ唯一絶対的な管理方法』と新人の頃からOJT等で言われてきた内容を、「ウォーターフォールは意味が無い!要らん!!」と言われたに等しいので、そりゃあ反発意見も多いよな~とは思うわけです。

でも自分が『共感出来なかった』からそれは悪とイコールかと言うと、当然そんな事は無く。でも、そうでは無い人も多いんでしょうね。自分が共感出来ない記事だから、この記事は悪い記事だという感想。十人十色で同じ考え方の人ばっかりだったら世界は面白くないので、いろいろな意見があって然りだと思います。僕自身は一連の記事を読んだ後、今まで他人に必要以上に求めすぎていた所が多すぎたな・・・と反省し是正するように考え直しています。ブログとは人の意見、考え方ですので『共感』出来れば大いに共感し自分に活かせばよく、『共感出来ない』部分を無理に「共感」しなくてもいいんでは無いかなと捉えています。

納得共感はすべてに優先するぜ!